銀路の主張

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学校教育は奴隷を作るための洗脳か?「全ての教育は洗脳である」

傑作だった。堀江さんの著書はそんなに多く読んではいないけれど多分この本は今まで読んできた堀江さんの本の中で一番意味があり役に立つ。

著書を読んでいて明治の文豪、森鴎外の「仮面」という小説に出てくるこんな言葉を思い出した 

「善とは、家畜の群れのような人間と去就を同じうするみちに過ぎない。それをやぶるろうとするのは悪だ。」

現代日本の教育を受けてきた人間ならば絶対にこう思ったことが一度はあるはずだ。

 「今勉強していることには何の意味があんの?」

 この著書は日本で行われてきた、そして今も行われている教育のほとんどは無駄だ。いや無駄であるならばまだマシと言えて、ただただ有害なだけの「洗脳」であると痛快なまでに断言ししている。その語調はやや強すぎるのではないか?とこちらが心配してしまうくらいだ。

 けれども読み終えた後には、今まで日本の「教育」という蓑を装った「洗脳」がどれだけ日本人に損害を与えてきたのか、私達が損害を被ってきたのかという「単なる事実」に気付いた時には堀江さんの語調は過剰でもなんでもなく、むしろそれでもなお足りないと思っている位だ

 個人的に常々思っていたし日本の教育を受けて来た人間なら一度は必ず考えたと思われるが、はっきり言って全ての中高生が古文を強制的に学ばされるというのは貴重な若者の時間をドブに捨てる所業であるとしか言いようがない。現在日本で未だに古文の授業が行われているのは「今までやって来たから」という慣例による思考停止と現在教職についている人間の雇用を守ること以外の理由は絶対にないと思っている。

「教養」だ何だという人がいるかもしれませんがもし本当に子供たちに教養を教えてあげたいと思っているならば古文なんかよりも余程教えてあげるべき教養があるはずだ。僕が受けて来た古文の授業を今振り返ってみていくら弁護してみようと努めても本当にただただひたすら「少なくとも僕にとっては絶対的に無駄だった」の一言以外ちょっと思いつかない。古文をやりたい子供がいるならば自主的にやらせてあげる環境を用意してあげれば良い。面白くないと思っている人間まで一緒くたにして強制的に椅子に縛り付けて、ググれば一瞬で出てくるような内容を糞暗記に努めさせるのはもはや狂気の沙汰ではないか?言うまでもなく源氏物語が好きで独力で読めるようになりたいと言う人はそれはそれで良いと思う。大いに勉強して誰かに気兼ねをする事なく突き進んでいけば良いと思う。私が言いたいのは古文が得意でもなく興味を持てない若者に強制的に教えることに一体なんの意義があるのか?ということだ。

 

この洗脳がなぜ始まったのか?

 

その答えは一概にこれだと言い切れるようなものではないのかもしれないが著書ではその答えの一つに日本で現在行われている洗脳教育は「かつては有効だった」という事を挙げている。

日本人は「みんな一緒」という手法で敗戦のどん底から世界でも有数の経済大国に躍進したいという強烈な成功体験がある・・・・という話を少し前に番組で聞いたことがある(偶然だが確かその番組でも堀江さんが出ていた気がする)。しかしその手法は現在ではもはや有害になっており、かつ未来においてはもう有害どころの騒ぎではなくなっているのは目に見えている。その「みんな一緒」教育という「洗脳」を受けた若者が工業製品のような人間に育ち、そしてそんな人間が出来るような仕事は未来では容易く人工知能が早晩必ずとって変わる。しかもその未来はそんなに遠い未来なんかではない。現在の人工知能の目覚ましい発達を考えれば汎用人工知能の到来すら待たずしてそんな「みんなと同じことしかできない」人材は労働市場から駆逐されるのは自明だ。

 

日本人は1日でも早くこの本に書かれている事実に気づいて1日でも早く行動して脱却しなければいけない。

 

けれどもそれは・・・・残念ながらどうせまぁ無理だろうと正直思う。インベスターZでの地動説の話にもあった通り今実権を握っている旧態依然とした人間たちがいなくならない限りは絶対に無理だ。歳月時を待たずと言うように人工知能の発達、そして国際情勢は日本人をわざわざ待ってはくれない。 

だからこの本を読んで気づいた人は日本をどうにかしよう!とか無駄なことは考えずにまず自分をどうにかしたほうがいいと思う。そして自分がどうにかできたそのあとに余力があるようならば日本をどうにかしてほしいと思う。

けれどもやっぱり残念ながらこの国の教育から古文教育も無意味な道徳の授業も意味不明な規則やルールも20年は無くならないと思う。