感想 書評 「母がしんどい」

田房永子さんのこの「母がしんどい」がどうやら今の毒親ブームの先駆けらしいですね。

この本を読んでいると看板に偽りなしで題名通りに本当にしんどい母親が出てきます。けれどこれは読んでると読者側の僕もしんどい。ただただひたすらしんどい。初見は特にしんどい。何回読んでもしんどい。

特に「毒親育ちでかつ自分が毒親育ちだとまだ自覚し切れてない人」は自分の触れられたくない、向き合いたくない部分を抉り出されるような感覚を味わうと思います。けれど誰よりもまず著者の田房永子さんが一番しんどい思いをしてこの本を世に出してくれたのだから救われた僕としては著者に惜しみない感謝を送りたいです。

 

多分この本に救われた人は日本にかなりいるんじゃないかなと思ってます。

儒教文化が未だかなりの影響を持っている日本社会では親を貶めるような内容のこの本に対して賛否両論あると思います。書評サイトやアマゾンレビューでも「産んでくれた親に対して」とか「いい歳して親のせいにして」とか「そもそも著者に問題がある」とかそういう感想が散見されます。けれど少なくとも絶対に僕はこの本に救われた側の一人です。

 

 

僕の両親は今でもそうですがとにかく常に何かにイライラして怒っている人たちでした。それでそのイライラが臨界点に達すると体罰という名目で僕に暴力をして発散する人たちでした。そんな人たちでしたので機嫌の悪くない日の方が明らかに少なかったので僕は物心がついた時には「何でこの人たちはこんな小さいことでいつも怒っているのだろうか?」と思っていました。ですので常に心のどこかが落ち着かないような不安定な子供でしたしそれは今も少なからず続いています。親が見ていると他の友達たちが思い切りはしゃいでいても僕だけがはしゃぎきれない、ある意味では「良い子」な子供時代だった気がします。

けれどよその家庭のことなんて知りようもないしどこの家庭の親でも「まぁこんなものなのかな」と漠然と思っていた気がします。

そんな感じで子供時代を過ごしましたが違和感が強くなったのは中学時代でした。周りの友人と親についての話題になっても「何かがよその親と自分の親は決定的に違う」と強く感じるようになりました。けれど中学生の時はそんなモヤモヤを抱えながらもいつも機嫌の悪い両親とそれなりに何とか付き合ってきました。

 

けれど高校生になった時にはどうしようもなく両親が嫌いになっていました。「◯ね」という言葉も高校時代だけでも1000回は言ったと思います。けれどそのたびに「よくある反抗期真っ最中の子供」扱いされて忸怩たる屈辱感を感じてそれをどこにぶつければ良いのかわからない、どんな風に言語化すればいいのかわからない、そんなやり切れなさを常に感じていたのを今でも覚えています。あの時のことを思い出すと今でも胸がぎゅっと苦しくなります。

 

 

僕がこの本を手に取ったのはそんな5年前の高校生の時です。書店で見かけて数ページパラ読みして今の自分に間違いなく必要な本だと確信したためすぐレジに持って行って購入しました。

最初読んだ時は本当にしんどかった。当時は不眠症や学校での人間関係の悩みなども重なっていて情緒不安定だったため本当にしんどかったのを覚えています。途中にメンタルの休憩を挟みながらも噛みしめるように読み終えました。

読み終えてこの本は僕にある事実を確信させました

「今の自分の親に対するイライラは世間一般的な反抗期のそれじゃなくて僕という一人の人間が親という一人の人間に抱く確固たる嫌悪だ」ということ

そしてもう一つの事実に気づきました

「自分は両親を心の底から軽蔑している。そして、物心のついた時から軽蔑してきた」ということ

こう書くとまるで冷静に受け止めているように聞こえるかもしれませんが先にも書きましたが当時の僕は「毒親育ちでかつ自分が毒親育ちだとまだ自覚し切れてない人」の一人だったため衝撃で頭の中がグルグルしていてましたし読んだ後はかなりグロッキーでした。高校生だったため当然実家に住んでいたこともあり置き場所に困ったのもありますし何より僕自身このしんどい本が自分の部屋にあるのが感覚的に嫌だったため買った次の日には捨ててしまいました。

けれど捨てこそしましたがこの本は僕に毒親という存在を教えてくれて、親を軽蔑してもいいこと、そして毒親の呪縛からの脱却を考えさせることのきっかけをくれました。それからネットで他の毒親本を調べ、スーザン・フォワードの本などを読むようにして自分の親が毒親であることの確信を深めて、それと同時に「アドラー心理学」などを読み精神の安定を確立することも必死に模索しました。

 

 

 

そして先月kindle巡りをしていたら偶然「母がしんどい」を見かけたのでちょっと迷った末に思い切って再購入しました。

5年経ってから読んで見ると驚きました。高校生の時に四苦八苦しながら読み切ったこの本を一つの本としてすんなり通して読めたからです。それでも多少のしんどさは感じたんですけど当時と比べたら感じなかったと言っても過言でないくらい楽に読めました。恐らく5年経って精神年齢が上がったというのも一つの要因になっていると思いますが何よりも親の「毒」の部分を言語化して自分の中で自分なりに「受容」して5年がかりでしっかり「消化」できたのだと思いました。

多分高校生の時に「母がしんどい」に出会えなかったら僕は僕の親の毒の部分を明確に自覚することはできなかったと思います。恐らく今も親を憎む気持ちとそんな自分を責める気持ちの板挟みで苦しんでいたと思います。

 

 

この本を毒親持ちではない人間、つまりノーマル親育ちの人間が読んだ時のリアルな反応は多分「こんな親が世の中にいるんだw」という反応ですらなくて実際の現実は「え、これの何がそんなにしんどいの?」っていう反応になる気がするんですよね。この本に書いてるしんどさって「我慢できないほどのしんどさ」なんだけど一回一回だけを取り上げてみれば「我慢できてしまうしんどさ」何ですよ。問題はの問題なんです。毒親育ちの人間って絶対に何個も何個も数えきれないくらいの自分の親の「毒親たるゆえんエピソード」を持っていると思うんですよ。毒親とノーマル親を分ける線分けって毒親エピソードの「質」じゃなくて「」だと個人的には思うんです。だからこそ自分の親がいかに毒親なのかをノーマル親育ちに説明しようとしてもあまりピンとこない、共感してもらえない。終いには「完璧な親なんていないよ」とか「親のせいにしてもしょうがないでしょ」みたいなどっかで聞いたような一般論でざっくりまとめられて終了・・・みたいなオチになってしまうと思います。

だからあなたが本当に毒親で苦しんでいるなら周りの人間に相談するんじゃなくて作中にあるようにちゃんとした精神科やクリニックに通った方がいいと思います。

 

僕は「母がしんどい」は全ての日本人に読んで欲しいと思っています。特に毒親に苦しんでいる人、そして将来親になりたいって思っている人に。個人的には義務教育で教科書として採用してもいいと本気で思っています。道徳の授業で毒にも薬にもならないような無意味な本を読むよりよっぽど意義があると思います。「母がしんどい」を読んで見て自分にためになると思った方は田房さんの「それでも親子でいなきゃいけないの?」や「うちの母ってへんですか?」を読まれることをお勧めします。